2018年3月31日土曜日

学校に適応できない子供たち

今年度は、後半になって不登校傾向の児童と深く関わることとなりました。

彼らに何か障害名がつけられるかというと、特にそういうわけでもないと思います。

しかし、何らかの辛さや苦しさを持って、

学校という場所に適応できずに苦しんでいました。

他にも不登校傾向の児童はいたようですが、

たまたま学校に足をむけることが可能になった彼らを、

学校は受け入れると決めました。

初めての試みでした。

最初の一名については、

担任を持たない教員や養護教諭、支援員など、いろいろな先生が

一コマずつ担当していくようになりました。

しかし、かなり難航しました。

児童が抵抗して泣いたり、学校から飛び出そうとしたり、

「帰りたい」と言い続けて、先生たちはなす術がなかったからです。

そうなんです、子供が勉強する気になって、椅子に座ってくれなければ、

普通、先生たちはどうすることもできないのです。

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紆余曲折あって、

途中から、朝いちばんの一コマは、私と通級の先生の名前で埋まりました。

給食時間も私の名前で埋まりました。

そしてだんだんどの授業も、私と通級の先生のどちらかが見るのが普通になりました。

理由はあえて書きませんが、

他の先生たちには、耐えられなかったというのもあると思います。

そして児童は、波はあるものの、とにかく二名の先生を信頼し、付いてくる様子が見られるようになりました。

そして、徐々に徐々に学校という場所への辛さ硬さが溶けていくのがわかりました。

今は、「ここなら頑張れる」「ここは一人でも行ける」「ここは無理」と自分で区別できるようにもなりましたし、

今まで学校の中で恐れて、顔がこわばってしまっていた”とあるモノ”に対して、

私と一緒にぷぷぷと笑えるようにもなってきました。


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もう一人の児童については、私一人で担当することになりました。

時には、児童二名を一緒にみていたので、両立するのが大変だったこともあるのですが、

うまく三人で楽しく過ごせるように工夫したことで、

私の手が足りないことを、彼らが自分の力でなんとかしようと補ったりする様子も見られました。

でも、もうちょっと時間が欲しかったなというのが正直な気持ちです。

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彼らが安心し、信頼し付いて来ようとしてくれるのに対し、

学校全体の土壌が風土があまりにも合わなく、考え方がかけ離れすぎていて、

溝は深まるばかりでした。

埋めようと努力してうまくいったことも確かにあったのですが、

完全に私は異端児扱いであったと思います。

自分たちが触わることのできない部分を担当してくれている私に対し、

助かったとは思っておられたでしょうが、

学校教育の現場にはそぐわないと思われて結構大変でした。

敵があまりにも大きすぎて、どうにもこうにもできませんでしたが、

私自身は、最後まで精神的につぶれなかったですし、

児童の様子が前向きに変化したことが結果として出たこと、

それが救いです。

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そして、私は3月末で任期を終えました。

元々わかっていたことでしたが、

学年が変わる彼らをそっと支援してあげたかった気持ちはあります。

でも、何より最初に担当した児童のお母様の、

考え方がずいぶん前向きになられました。

そして、我が子に真正面から向き合おうとされるようになりました。

「なんでうちの子だけ」から、

「この子の困りが、もっと後でわかるよりも、今わかって良かった」

そんな風に表現されるようになりました。

あのお母様だったら、きっと大丈夫。

大変なことはこれからももっと出てくるだろうけど、

私は、あの状況で伝えられることは、自分の口で、児童の様子を通して、

私の行動を見せて、伝えられたと思っています。

だから、悔いはありません。

その時やるべきことをしっかりとやって、

悔いのない人生を送りたい私にとっては、

100点です!

最後に、お母様からいただいたお手紙を紹介します。

載せてくださってもいいですよ、と了解いただきまして、感謝いたします。


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タカマミー先生へ

タカマミー先生、親子揃って大変お世話になりました。

いろいろな事があり過ぎて、まだまだ頭の中が整理できていません。

ただ、今はっきりと感じているのは、私たちはラッキーだったな!!ということ。

このタイミングで、わが子Aの困りごとに気付けたこと。

タカマミー先生がB小学校に居てくれたこと。

・・・

幼い頃から、何か違う、何か育てにくさを抱えたまま今までやってきました。

しかし、言葉の発達や学習面で目立った遅れもなくという感じでした。

小学校入学という大きな環境の変化や、担任の先生との関わりの中で、

ずっと内にあった困りごとが表に出ることとなりました。

本当に、何をどうしたらよいのか、原因や接し方もどうしたらいいのやら。

その当時のお先真っ暗な気持ちは、今も忘れられません。

たまたまタカマミー先生がB小学校にいてくれて、Aの特性にすぐ気づいてくれたこと。

知識はもちろん、実体験としてたくさんの引き出しを持たれてたこと。

そして、わが子Aの困りごとがなかなか手強く、

その日その日でどんどん状態が変化し、接し方に悩み・・・

そんな日々に苦しむ母の気持ちを分かってくださって、寄り添ってくださった

タカマミー先生に出会えたことが奇跡です。

実は、Aが職員室登校を始めたとき、

「学校に任せてください」と言われたものの、

本当にこんな様子で大丈夫なんだろうかとすごく不安に思っていました。

しかし、途中からタカマミー先生が関わられるようになり、

毎朝必ず待っていて、Aを出迎えて下さるようになりました。

毎朝、つい笑ってしまう、心ほぐしの顔シール作戦、マジック作戦などなど

Aも毎朝のあの時間が楽しみになり、タカマミー先生に早く会いたいからと、

登校時間も日に日に早くなりました。

学校で過ごす時間も、めりはりをつけてもらい、

Aに合わせてスモールステップを用意していただき、

今では教室に入ることができたり、行事に参加することができるまでになりました。

本当に感謝ばかりです。

・・・

異動の発表があり、Aにタカマミー先生が居なくなることを伝えました。

想像以上の泣きっぷりでした。

いろいろと話をしている中で、

「わたしが毎日学校に行けるようになったの、タカマミー先生のおかげやもん・・・涙」

と言っていました。

この子なりに、いろいろと考え、感じ、

しっかりと人を信頼することができるようになっていたんだなあと深く感じました。

・・・

今は、やっとAの困りごと、特性がわかり、材料がそろったぞ!といったところでしょうか。

引き出し増設、知識も仕入れ、とりあえず考えてやってみる。

ぼちぼちやっていく。

ということですよね。

先生の言葉を参考に、Aが自分の力をつけていけるように、

母は踏ん張って支えていこうと思います。

きっとまたタカマミー先生に会える気がしています!!

本当にありがとうございました。

Aの母より

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そうです。

お母さん、とっても素晴らしいです。

いつまでも応援しています!!


タカマミー

2018年3月28日水曜日

大好きなおばあちゃん

息子はただ今春休み。

私は少しずれこんでから春休み。

この春は1週間休みがずれていました。

行き先は確保してあるものの、

7時台に家を出てしまう私と、

息子のディサービスのお迎えの9時や10時までの間、

どうしても留守番をしてくれる人が必要になります。

そんな時いつもは私の母が留守番に来てくれていました。

息子にとっては、いつも元気で大好きなおばあちゃんです。

でも、今日はおばあちゃんが来てくれませんでした。

代わりに、おじいちゃんが来てくれました。

前日、そのことを説明しました。

「おばあちゃんは、今病院にお泊りしているから、

明日はおばあちゃんではなくて、おじいちゃんが来てくれるからね。

おじいちゃんと賢くしていてね。」

※ちなみにおじいちゃんも

母の病院への付き添いの前に、我が家の用事を引き受けてくれました。

ありがとう、父。

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でも、息子には理解できず、混乱してしまいました。

「おばあちゃんは、おうちに居る!」

「おじいちゃんとおばあちゃんが、玄関に来てくれる!」

「パパ帰ってくる!」(これは単身赴任の時の記憶から、ついでに言ったものです)

お母さんよりも元気なくらいいつもニコニコしていて、

いつも優しくしてくれるおばあちゃんしか知らない息子にとって、

病気のおばあちゃんが想像できないのは当たり前です。

・・・・・

夕方すべての用事が終わってから、

「病院におばあちゃんに会いに行く?」

と尋ねました。

「おばあちゃんのところ、行く!」

と息子は答えました。

ちなみに今日は手術日で、私は手術の時間に立ち会えなかったので、

顔を見に行きたかった私としても好都合でした。

しかし、息子は声を出してしまったり、

ウロウロしてしまったりするので、

病院では迷惑になるかなあと内心ひやひやしながらも、

病院に居るおばあちゃんを息子に見せておくのは、

良いことかもしれないなと思いました。

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病室に入ると、化粧っけもなく、パジャマを着て、

鼻にストローのようなものを差しこまれ、

点滴につながれたおばあちゃんが横たわっていました。

息子はとてもびっくりした様子で、

椅子にじっと座っていました。

いつもと違うおばあちゃんの様子に、不安気でした。

外で人の声がすると

「お医者さん?」

と聞くので、

「お医者さんか看護師さんかな」

と答えると、

「お医者さん、おばあちゃん治してほしいって言う」

そんな風に言いました。

私とおばあちゃんが

「すぐ治るからね。おうちに帰れるからね。」

と息子に伝えたりしたので、

ここは病院で、お医者さんが治してくれる、

早く治してください、と言いたかったのでしょう。

そして、目的がないとじっとしていられない息子が、

今日だけは「帰らない」

と言って、椅子から立とうとしませんでした。

ずっとおばあちゃんの横に座っていようと

そんな意思が見えました。

・・・・・

おばあちゃんと私に説得されて、

ようやく病院を後にしました。

たくさんの語彙を持たない息子なので、

それ以降おばあちゃんのことは話しませんが、

何を感じ何を思ったのでしょうか。

「帰らない」と言った息子の様子は、

私にとっても驚きで、

私が伝えたかったメッセージを

受け取ってくれたかに見えました。

・・・・・

2日後、また息子と一緒にお見舞いにいきました。

パジャマではあるけれど、

すっかり元気になったおばあちゃんを見て、

いつも通りの息子に戻っていました。

一緒にカフェに行き、

散々いろいろ食べたり飲んだりしたら、

「さようなら」

と呆気なく帰ろうとする息子。

いつもの息子の様子に、おばあちゃんも一安心(!?)

・・・・・

今度はもうおうちに帰っているおばあちゃんに

会いに行こうね。

・・・・・

タカマミー