2016年8月30日火曜日

北風と太陽

「T先生、なんで今注意しーひんの?」

今日は、この言葉にハッとさせられた日でした。

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秋になり小学校が再開しました。

穏やかとは言い難かった現場は、

未だ穏やかにはなっておらず、むしろ様相を変えてまた緊張し始めています。

学校での私の役割といえば、

前任校でも今回でも、最初は発達障害児の個別対応と、

T2の役割としてまんべんなく学習指導をすることが多かったのです。

しかし今は、周りを巻き込む問題行動を起こす(いわゆる非行というか)複数の児童に対し、

なんとか周りに巻き込まないように、そしてできるだけ学習に向かえるように、

支援することにほとんどの時間を費やすようになりました。

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周りの子に対し、学習環境の保障をすることと、

彼らの気持ちをおだやかにし、

緩やかに行動を修正していくこと、

それが私の役割だと思っています。

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問題行動を起こす彼らは、

教室内でも様々なことをするのですが、

一旦教室から出てしまうと、

廊下でたむろして、ふざけてなかなか動きません。

もちろん一人でも、なかなか戻れなくて放浪の旅に出る児童もいます。

周りの普通の生徒たちも、その様子をいつも見ています。

そして、担任の先生が大声で叱る、という場面をしょっちゅう目にしているわけです。

そんな中、私は叱るときもあるけど、じっと見ているときもある。

それが、Aくんにはとても疑問に思ったようです。

そして、Aくんは素直に私にぶつけてきました。

「T先生、なんで今注意しーひんの?」

Aくんは、正義感が強いところが良いところですが、

それにより、もめ事を引き起こすこともある児童です。

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その時は「うん、注意するよ。」と軽く返事したのですが、

その後少し考えて、

”彼の疑問は、周りの生徒たちの素直な気持ちでもあるかもしれないなぁ。
彼と話をしてみようかな”

そう思いました。

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「なあなあ、Aくん、さっきの話やけどな、聞いてくれる?」

「先生な、彼らをすぐ叱るときと、叱らずに見てるときがあるって思ったんやろ?」

Aくん「うん。そう思った。さっき、悪いことしてるのに、なんで怒らへんのかなって。」

「先生な、周りのみんなに迷惑かけてるときはどうしてる?」

Aくん「怒ってる」

「うん、そやねん。周りの子に迷惑かけるようなことは、すぐ止めさせてるねん。」

「でもな、今日のさっきの場面な、先生怒ったとしたら、どうなってたと思う?」

Aくん「うーんと、すぐには言うこときかへんかったような気がする。」

「そうやねん。普通に怒っただけでは、動きそうにもなかったやろ?」

「でもさ、大声で怒鳴って、びっくりさせて、無理やり動かすこともできたかもしれん。」

「でも、毎回そんなことして教室に入らせたとしても、また同じことの繰り返しやろ?」

Aくん「うん、そう思う。」

「先生な、彼らにしぶしぶでも納得して『しゃーないな』と思ってでもいいから、自分の足で教室に向かって欲しいねん。」

「そのためにはな、声をかけるタイミングや、話しかける言葉かけが、すごく大切やと思ってるねん。先生は、そのタイミングをいつもじっと見て考えながら彼らと接してる。」

Aくん「そうなんか。」

「だからな、先生は彼らをしっかり見てる。決して放ってるわけではないねん。それはな、他のみんなに対しても同じ気持ちやねん。だから先生に任せてほしいねん。」


Aくん「わかった。」

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子供たちにとって、教師は悪いことをしたら叱るもの、と思っているはず。

ただじっと見ていることの意味がわかる子供なんて、そんなに多くはないんだろう。

時々、談笑しているときもあるくらいだから、余計に不可解かもしれない。

でも、長い目で見てた時、問題行動を起こす彼らにとって

自分の足で『しゃーないな、戻ろうか』と歩き出すことが大切だと思っている。

私はいわゆる非行児童のことに関しては素人ではあるが、

息子を育ててきた過程で実感してきた、

『気持ちがないのにただ言われたとおりに動くことを求める』

ということを続けても、定着しないことを知っている。

「気持ちがなくてもやらなければならない」ことももちろんあるが、

自分で納得して見通しをもって動くことって、とっても気持ちがいいし、

人に言われてやったんじゃなく、自分で決めたんだしな、と思えるはず。

そういう経験を地道に増やしていくことを、私は今回やっていきたいと思っている。

だって、担任に聞いたって、管理職に聞いたって、誰もはっきりした答えを持っていないんだから。

それなら、周りの先生方が納得する範囲内で、彼らと対話と駆け引きを続けていきたいと思う。

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北風と太陽であれば、私は児童にとって太陽の役割を担うべきだと、

なんとなく誰かが言っているような気がするから。

発達障害の子供たちにとっても、太陽であったと自負しているから。

実際は誰も言っていないし、誰の意見も聞いていないけど、

もう少しこうやって毎日を戦ってみたい。

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Aくんとのやりとりから数時間経って、

1対1の揉め事があった。

一人(B)は暴言、一人(C)はつかみかかろうとする、という。

そのいざこざがあって、また授業が再開したあと、

揉めている2人の間で視線の行き来が一度だけあった。

それを見て、” あ、次の5分休憩の合図とともに、BがCに殴り掛かるだろうな。」

15分くらいして出た担任の休憩の合図とともに、しれ~っと2人の間に入る私。

そして、BがCをとらえた瞬間、私により確保~!である。

その後、Aくんと目が合ったような気がした。

気のせいかな?

何か感じてくれたかな?

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タカマミー







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